明智光秀を倒し、天下人まで一気に駆け上がった豊臣秀吉。織田信長の家臣だった羽柴姓の頃は、三木城・鳥取城での兵糧攻め、備中高松城での水攻めなど、西国でブイブイ暴れていました。そんな秀吉の拠点となっていたのが姫路城。実は姫路城と呼ばれるようになるのも秀吉の頃からです。本能寺の変後、主君の仇・光秀を倒すため、備中高松から山城山崎までの230キロをたった10日ほどで行軍した中国大返しでも、姫路城は兵士達の休憩・補給地点として重要な役割を果たしました。