室町時代から蘆名家の居城だった黒川城は、豊臣秀吉配下の武将・蒲生氏郷によって大規模な近世城郭へと生まれ変わり、新たに鶴ヶ城と名づけられました。江戸時代を通して、奥羽最大の城下町であり、また奥羽の玄関口でもある会津を統治する城として、幕府から重要視されてきました。戊辰戦争時に幕府軍の拠点となったことで、新政府軍からの砲撃を受けて激しく損傷し、修復されないまま放置され、明治7年には天守を初めとする建造物のすべてが解体されました。1965年、天守が鉄筋コンクリート造で再建されています。
福島県会津若松市追手町1-1
時間(天守)|8:30~17:00(入館は16:30まで)
年中無休