1686年に起こった農民一揆、貞享騒動は多く参加者の処刑で終ってしまいます。一揆の首謀者、多田加助が処刑の際に松本城を睨みつけると、その怨念で天守が傾き始めたという伝承があります。天守が徐々に傾いていったのは事実ですが、もちろん怨念ではなく、元々の地盤の緩さと支持柱の老朽化が原因。明治30年代にはいよいよ傾きが大きくなります。それを危惧した松本中学校の校長、小林有也の働きかけが明治の大修理につながります。大修理によって天守の傾きは改善され、取り敢えずは倒壊の危機を脱しました。