父・数正の思いを継いで松本城を完成させた石川康長ですが、石高に見合わない大規模工事だったため、領民に苛烈な負担を強いていました。太鼓門に据える巨石があまりに重く、運搬する人足が苦情を訴えると、康長はその人足の首を刎ねて槍で刺し上げ、それで他の人足を脅して巨石を運搬させた、という酷いエピソードが残っています。康長はその後、大久保長安事件に縁戚連座したという理由で改易されましたが、どうやら許可を得ずに過度な城普請を行ったことでも徳川幕府の心象を悪くしていたようです。