「幕末の四賢侯」として名高い十五代藩主・山内容堂(1827―1872)。下級武士出身の側室の子で、しかも分家でした。藩主から縁遠い立場だったのですが、藩主の死が相次いだことで、その座が回ってくることに。彼の活躍が目立つのは、やはり藩政よりも幕政の方でしょう。目指したのは公武合体による幕政立て直しで、大政奉還の建白こそしましたが、その後も徳川家を擁護し続けました。しかし藩内が徳川排除に傾いてゆくのを抑えられず、戊辰戦争で藩士が官軍に加わって大活躍する中、その存在感をなくしていきました。