二代藩主・山内忠義に重用された大政治家・野中兼山(1615―1664)は、多くの恨みを買った人でもありました。家臣増強の意味もあって前領主・長宗我部氏の旧臣を積極的に活用しましたが、逆に現領主・山内家の家臣の恨みを買いました。また新田開発や治水事業などの土木工事で社会基盤を充実させましたが、逆に過酷な経済負担と労役を強いられた領民の恨みを買いました。三代藩主・忠豊にもしばらく重用されるものの、反兼山派の弾劾により失脚。兼山亡き後、家族は男性が死に絶えるまで宿毛の地で監禁されるという悲惨な目に。