徳川家康が駿府城を築き始めた1585年は、小牧・長久手の戦いの翌年で、豊臣秀吉とは依然として対立関係にありました。秀吉が西から攻めてくることを考えると、当時の二大拠点・岡崎と浜松よりも東に位置し、天竜川、大井川、安部川という難所を越えなければならない駿府の方が守りに適しています。しかしその後、家康の状況が一変します。秀吉と和睦してその臣下に入り、秀吉と共に小田原城を攻め、そして秀吉の命で領土がまるまる関東に変わることに。結局この頃の家康が駿府を居城にしていたのは、わずか4年足らずでした。