1624年に駿府城主となった徳川忠長(1606―1634)は、三代将軍・家光の弟です。母のお江与が、病弱で陰気な家光を好まず、聡明活発な忠長を溺愛したことで、家光との仲は非常に険悪でした。自分の方が将軍に相応しいのに、という屈折した思いが消えず、次第に精神が不安定になっていきます。お江与が死ぬとお手討ちなどの乱行が目立つようになり、幕府としても見過ごせない存在に。1632年、父・秀忠の臨終の際には、面会すら許されませんでした。秀忠の死後に改易となり、逼塞の地・上野国高崎にて自刃に追い込まれました。