現在の弘前城天守は二代目です。1627年に焼失した初代天守があった場所ではなく、本丸の南東隅櫓があった場所にあります。1810年、九代藩主・津軽寧親が幕府に申請したのは、天守再建ではなく櫓3棟の修築許可でした。実際には建物1棟しか造らなかったのですが、その建物は、デザイン豊かな外側二面に、のぺっと地味な内側二面という、隅櫓によくある特徴を持っています。そして公には誰もその建物を天守と呼びませんでした。これらはすべて天守再建に厳しい幕府を欺くため。追及されても櫓だと言い張れる天守を造ったわけです。
※ 読み:寧親⇒やすちか