弘前城は1611年に津軽信枚によって完成しましたが、当時の地名は弘前ではなく鷹岡(高岡)で、お城は鷹岡城と呼ばれていました。天守は現在の位置(本丸南東隅)ではなく、現在の本丸未申櫓跡(本丸南西隅)にあり、五重のかなり大規模なものでした。しかし1627年、落雷によって大爆発を起こしたと伝わっています。どうやら天守内に火薬を貯蔵していたようです。『信枚君一代之自記』によれば、その翌年の8月に地名が弘前に変わったとのことですが、ひょっとして天守大爆発のショックが影響しているのかもしれません。
※ 読み:信枚⇒のぶひら|未申⇒ひつじさる