1784年の落雷によって本丸本壇の天守群が焼失して以来、松山城は幾度も火災に遭ってきました。明治時代になって、廃城令での建造物破却がなかったにも関わらず、二の丸・三の丸が失火によってあっさり焼失。1933年には放火によって、幕末にせっかく建て直した本丸本壇の建造物が、大天守のみを残して焼失。1945年、アメリカ軍の空襲によって11棟が焼失。1949年、またまた放火によって3棟が焼失。燃えずに残っている建造物は大天守を含めて21棟。もう燃やしちゃダメですよ。火の用心、火の用心。